学校給食の歴史を訪ねて

2002年8月某日 メールはこのアドレスへお願いします

2015年2月1日に中京テレビで放送されるそれっていつからヒストリーでこのサイトの写真が使われる予定でしたが、時間の関係でカットされてしまいました。

2014年12月1日に放送されるクイズプレゼンバラエティー Qさま!!特別編でこのサイトの写真が使われるそうです。

 東北地方を旅行した際に,山形県鶴岡市家中新町の大督寺に立ち寄りました。明治22年10月に鶴岡の各宗寺院住職が大督寺境内に私立忠愛小学校を開校しました。このとき昼食を持ってくることが出来ない恵まれない家庭(貧乏な家庭)の子供達のために無償で昼食を給したのが学校給食の始まりとされています。

大督寺の門

大督寺の門
学校給食発祥記念碑在所

大督寺の門の脇には「学校給食発祥記念碑在所」の碑が立っています。


本堂に続く道

本堂に続く道の脇に碑は立っています。
「学校給食発祥の地」の碑

「学校給食発祥の地」の碑

「学校給食発祥の地」の碑

「学校給食発祥の地」の碑
「学校給食発祥の地」の碑

「学校給食発祥の地」の碑

明治二十二年十月鶴岡の各宗寺院住職ら相図り恵まれぬ家庭の子弟教養のため大督寺内に私立忠愛小学校を開設浄財をもつて子弟に弁当を給した しかるに同三十年十二月該校舎は不幸にも焼失同三十三年七月該校開設の素志達成の熱意は各宗共同忠愛協会の結成となりその資金を年々恵み薄い子弟等の給食費にあて昭和二十年まで継続した 大督寺境内におろされた給食の種子はその後全国各地に開花し昭和二十九年六月には学校給食法として見事に結実今や給食人員は九百萬をこえ児童生徒の体位は著しく向上した ここに学校給食七十年の源をたずね先賢の慈悲の心と達眼とをしのび学校給食発祥の地に記念碑を建て永くその徳を欽慕する

昭和三十四年十一月六日
題字文部大臣松田竹千代
撰文山形県知事安孫子藤吉
碑文揮毫山形大学講師菅野小鶴
建立者山形県教育委員会
鶴岡市教育委員会
全国学校給食会連合会
財団法人山形県学校給食会


 当時は子供達だけでなく親も,その日の食べ物にさえ事欠く家庭が多かったのだろうと思います。そうした中で無償で昼食を給した僧侶の方々には頭が下がるばかりです。

 忠愛小学校についてのさらに詳しい説明は鶴岡市学校給食センターつるおかの給食が参考になります。(2002年当時の情報)

 現在(2015年12月)の鶴岡市学校給食センターのつるおかの給食はこちら、以前ネットの公式サイトで公開されていたものはつるおかの給食で見られます

 N-Calc ホームページに戻る